新潟ハイカラ文庫

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北前船の郷を訪ねて(1)島根県・隠岐の島町

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(上の地図は隠岐の島町ホームページより引用)=隠岐の島町ホームページ

新潟湊に入津した隠岐廻船
江戸時代の隠岐は長崎俵物に代表される海産物の生産地であり、天保期の廻船資料から上り荷として海産物を長崎や赤間関、上方などへ売り込み、下り荷として塩、砂糖、米などを積み帰る活動が分かっています。さらに幕末期になると、中規模廻船を用いて自国商品だけでなく、西廻り海運広域の買い積み経営に積極的に参入しており、これらの廻船は新潟にも頻繁に寄港し、下り荷を売るとともに、上り荷として米を買い付ける商業活動を行っていました。
新潟ハイカラ文庫が調査を続けている新潟湊の廻船問屋若狭屋市兵衛、前田松太郎が扱った隠岐廻船のうち入津回数が把握できる幕末期において多いものは隠州島後地域の宇屋町(同隠岐の島町東町=西郷)の塩屋和助、布施村(現在の隠岐の島町布施)の熊屋熊右衛門の廻船です。今回の特集はその本拠地を訪ねた報告です。

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新潟からは航空機を利用して大阪伊丹で乗り継ぎ。隠岐空港(隠岐世界ジオパーク空港)は島後の南部にあります。


隠岐島後・西郷宇屋町

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側溝で何を見付けたのだろう・・・
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廻船主 塩屋和助の店があった宇屋の街並み
塩屋廻船は安政期には新潟から米を積んで松前へ向かった記録も残っている。


西郷港は隠岐汽船の拠点

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フェリーと高速船が島前地域および鳥取県境港市の境港と島根県松江市の七類港を結んでいる。
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乗船券は「硬券」


隠岐島後・布施

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入り江の奥、港の目印となる松の大木のそばに熊屋の店はかつてあった。
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布施の港には今でも廻船を停泊させる際に利用した杭が残っている。
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この先に能登半島があり、佐渡があり、そして新潟がある。
150年前の新潟にあった古文書に導かれて、ここまでやってきた。
布施の熊屋熊右衛門は四百石積程度の中型廻船を複数擁し幕末期の日本海海運において有力な廻船主であったが、明治10年ごろに廻船業から撤退したと考えられる。買積み廻船主の多くは松方デフレの不況期に赤字を抱え廻船業から撤退する例が多く見られるが、熊屋はそれより少し早い時期に見切りをつけていることになる。その事情は何だったのだろうか。
布施地域からは熊屋のほかにも多くの廻船主が日本海へ乗り出した。熊屋撤退後であるが布施廻船と新潟の廻船問屋の間には具体的な差引状もある。明治一七年六月二三日に新潟の廻船問屋前田松太郎が布施の廻船主山口兼平宛に書いた差引で、兼平から前田へ売った物として記されているのは、半紙、白砂糖、玉砂糖、若布、空豆、綿、木綿、塩、生蝋などである。逆に前田が兼平に売ったものは三田米、白米であった。


隠岐島後のみどころ あれこれ

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屋那の松原・船小屋群
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壇鏡の滝
この時は流量が少なめ。


参考文献
布施の廻船業(昭和43年)