7月の例会=報告
7月例会
令和6年7月28日(日)
「北前船と新潟 −廻船と日本海海運の時代−」展について
新潟市歴史博物館学芸員 安宅俊介 氏
<講演要旨>
そもそも「北前船」という言葉は新潟ではあまり用いず、単に「廻船」などと呼ばれていた。日本遺産「北前船」では、「江戸時代中期(18世紀中ごろ)から明治30年代に大阪と北海道を日本海回りで商品を売り買いしながら結んでいた商船群」と定義し、船主の出身地を重視しない中西聡氏の見解とほぼ同じ立場をとっている。本展も、この柔らかめな捉え方で考えている。新潟市(新潟町)には「北前船」に関する史料がそれほど多くは残っていない。そこで、今回は「廻船と日本海海運の時代」という副題をつけた。廻船(北前船を含む)と海運、そして「みなと」を広く捉える展示にせざるを得なかった。
本展の展示構成を示す。全4章で構成し、1北前船の登場、2新潟町と廻船、3廻船問屋と船主、4海運の荷品とし、プロローグとエピローグをつけている。1北前船の登場では、北前船全般の説明をし、近世初期の新潟湊に関する絵図、船路や船、船具に関する展示、特に船と航海の安全を祈るための史料を多く展示している。2新潟町と廻船では、新潟町を中心に湊町の史料を紹介している。湊ならではの仕事に関する史料を中心に展示し、「大新潟湊」展以降に把握した史料も出ている。3廻船問屋と船主では、北前船をはじめとした廻船の取引仲介などを行った廻船問屋に関する史料を最新の研究をふまえて紹介している。廻船の船主(北前船主)の具体例として小澤家文書を中心に紹介している。実際の航海の損益がいかほどだったか、また変動する相場への対応なども紹介している。4海運の荷品では、海運によって運ばれたものを紹介している。北前船に限らず具体的なモノ史料とあわせて北前船が売買をした取引文書もモノにあわせて紹介している。特に佐渡にもたらされた人形などは多めに展示している。5エピローグでは、斎藤喜十郎、小澤七三郎、小池上春五郎、鈴木長蔵などの廻船問屋や北前船主の近代以降のあり方を紹介している。また新潟町(新潟市、新潟港)の近代以降について、ごく簡単に紹介している。
おわりに、北前船とその後について触れたい。北前船は幕末から明治初期にかけて最盛期を迎えたといわれている。しかしその後、各地の相場情報を瞬時に伝える電報などの新たな通信手段が生まれ、それまでの木造和船と比べて大量の荷物を運ぶことができる大型の蒸気船の登場やさらに新たな陸上輸送として各地に網を広げていった鉄道などの近代的な交通手段の登場によって明治20年代以降衰退していった。こうしたなか船主や廻船問屋のなかには没落していく人もあれば、それまでに蓄積した資本を新たな方向に振って経営を拡大していった人もいた。新潟市の船主や廻船問屋の場合、土地集積による地主化、銀行・会社の設立・経営、米穀、石油、酒などの委託販売業、汽船を用いた近代的海運業、北洋漁業への進出などがみられる。〈この後、展示解説が行われた。〉