8月例会
令和6年8月18日(日)
中越大震災20年と地域史研究・史料保存~災害と復興をかたりつぐために~
長岡市立科学博物館歴史研究室総括副主幹学芸係長 田中洋史 氏
〈講演要旨〉
中越地震から20年にわたる長岡市における災害資料の収集・保存の活動を中心にその概要を報告する。
中越地震被災時に読んだ『阪神淡路大震災にかかわる資料保存活動の記録』に啓発され、長岡において被災資料の救済と災害資料の収集活動を始めた。その活動は行政組織を動かして被災下の状況を踏まえて行い、市の復興計画に災害の記憶の伝承と地域振興での活用を盛り込むことによって、中央図書館文書資料室による災害復興資料収集の継続が可能となった。災害から4~6年を経て、学校などの市施設を対象に資料収集を拡大するとともに、資料を活用した展示会などを開いた。平成23年の東日本大震災の際には、文書資料室は、福島県からの避難者の避難所で作成・配布・掲示された資料の収集を行った。
中越地震から10年目には、市のフェニックスプロジェクトの一環として、「災害と復興をかたりつぐ」事業を実施し、それまでの被災救済資料や収集資料によって長岡市災害復興文庫を開設し、市内15か所でのリレー講演会や企画展を開催した。その後、中越地震以降の長岡市の活動を記録・刊行したり、展示会や講演会を開催したりするなど活動を通じて、全国に被災資料の救助と災害復興資料の保存の重要性を発信してきた。その結果、現在、全国で多発する災害に際して長岡市の施策が参考にされるようになっている。
こうした活動が継続できた背景には、行政における事業の位置づけを明確にしたこととともに、市民協働の力が大きい。被災資料や災害復興資料の整理には長岡市資料整理ボランティアが大きな役割を果たしている。また、新潟歴史資料救済ネットワークとの連携も重要であった。
こうした市民や関係団体との連携を踏まえて、長岡市は令和6年長岡市歴史文書館を開館した。また、長岡市と市民の活動を伝える「救え!山古志の文化財~民具と古文書が語るもの~」を開催した。今後、歴史文書館と博物館、図書館が連携して活動を継続発展させる必要があろう。また、これからも発生する災害とともに、長岡市に甚大な被害をもたらした戦災に関する資料収集・保存・活用も今後の課題である。人々の暮らしのなかで誰もが体験したこと、日常的なことは資料として残されない。こうした資料を意識的に収集・保存・活用することが重要だと考える。
2024年8月20日 9:48 PM |
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7月例会
令和6年7月28日(日)
「北前船と新潟 −廻船と日本海海運の時代−」展について
新潟市歴史博物館学芸員 安宅俊介 氏
<講演要旨>
そもそも「北前船」という言葉は新潟ではあまり用いず、単に「廻船」などと呼ばれていた。日本遺産「北前船」では、「江戸時代中期(18世紀中ごろ)から明治30年代に大阪と北海道を日本海回りで商品を売り買いしながら結んでいた商船群」と定義し、船主の出身地を重視しない中西聡氏の見解とほぼ同じ立場をとっている。本展も、この柔らかめな捉え方で考えている。新潟市(新潟町)には「北前船」に関する史料がそれほど多くは残っていない。そこで、今回は「廻船と日本海海運の時代」という副題をつけた。廻船(北前船を含む)と海運、そして「みなと」を広く捉える展示にせざるを得なかった。
本展の展示構成を示す。全4章で構成し、1北前船の登場、2新潟町と廻船、3廻船問屋と船主、4海運の荷品とし、プロローグとエピローグをつけている。1北前船の登場では、北前船全般の説明をし、近世初期の新潟湊に関する絵図、船路や船、船具に関する展示、特に船と航海の安全を祈るための史料を多く展示している。2新潟町と廻船では、新潟町を中心に湊町の史料を紹介している。湊ならではの仕事に関する史料を中心に展示し、「大新潟湊」展以降に把握した史料も出ている。3廻船問屋と船主では、北前船をはじめとした廻船の取引仲介などを行った廻船問屋に関する史料を最新の研究をふまえて紹介している。廻船の船主(北前船主)の具体例として小澤家文書を中心に紹介している。実際の航海の損益がいかほどだったか、また変動する相場への対応なども紹介している。4海運の荷品では、海運によって運ばれたものを紹介している。北前船に限らず具体的なモノ史料とあわせて北前船が売買をした取引文書もモノにあわせて紹介している。特に佐渡にもたらされた人形などは多めに展示している。5エピローグでは、斎藤喜十郎、小澤七三郎、小池上春五郎、鈴木長蔵などの廻船問屋や北前船主の近代以降のあり方を紹介している。また新潟町(新潟市、新潟港)の近代以降について、ごく簡単に紹介している。
おわりに、北前船とその後について触れたい。北前船は幕末から明治初期にかけて最盛期を迎えたといわれている。しかしその後、各地の相場情報を瞬時に伝える電報などの新たな通信手段が生まれ、それまでの木造和船と比べて大量の荷物を運ぶことができる大型の蒸気船の登場やさらに新たな陸上輸送として各地に網を広げていった鉄道などの近代的な交通手段の登場によって明治20年代以降衰退していった。こうしたなか船主や廻船問屋のなかには没落していく人もあれば、それまでに蓄積した資本を新たな方向に振って経営を拡大していった人もいた。新潟市の船主や廻船問屋の場合、土地集積による地主化、銀行・会社の設立・経営、米穀、石油、酒などの委託販売業、汽船を用いた近代的海運業、北洋漁業への進出などがみられる。〈この後、展示解説が行われた。〉
2024年8月7日 9:52 PM |
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