9月例会=報告

9月例会

令和7年9月21日(日)

「映像で訪ねる高野山奥の院と新潟 −新潟の人々の墓所・供養塔と会津八葉寺を訪ねて−」

本会事務局長 髙橋 邦比古 氏

<講演要旨>

 高野山清浄心院の「越後過去名簿」に「新潟」が記されている。永正17(1520)年の記事で、これが現在「新潟」が登場する一番古い史料となっている。私は数年前清浄心院の史料や越後に関係する墓所・供養塔を見たいと考え、同好の仲間と高野山を訪ねてみた。今日はその時探訪した寺院等を紹介したい。

 高野山は地理学上の山ではなく海抜820m、東西5キロ、南北1キロの平地で全域が寺の境内地である。総本山金剛峯寺の他、子院117か寺、その大半が宿坊を兼ねている。伊丹空港からタクシーに乗り高野山表参道入口の慈尊院に着いた。そこから歩いて大門へと向かった。参道には町石といわれる卒塔婆様の高さ2m程の案内柱がたてられている。りっぱな大門から中門を通り「壇上伽藍」に入った。そこには金堂や六角経蔵等々の建物が並び、古い景観をとどめている。中でも根本大塔は高野山のシンボルで、空海が中国から伝えた最古の多宝塔(パゴタ)がある。また不動堂は鎌倉時代の和様建築で、高野山で唯一国宝に指定された仏教建築である。

 次に金剛峯寺に行った。金剛峯寺は一般寺院でいう本坊で、高野山真言宗総本山、座主の住寺である。つづいて霊宝館に入館した。大正10(1921)年開設、高野山にある国宝、重要文化財が多数保管、展示されている。現在日本の国宝の2%はこの高野山にあるとのこと。私達は霊宝館近くの宿坊遍昭尊院に宿泊した。

 翌日は清浄心院を外から見た。由緒ある寺院であるが係争中で「越後過去名簿」を見ることができなかった。清浄心院のすぐ脇の一之橋からが奥の院である。一之橋から中之橋までの約2キロに上杉謙信・景勝霊屋、武田信玄・勝頼等々戦国武将の供養塔がある。さらに中之橋から御廟橋への道中にも、約8mの徳川秀忠夫人(お江)の墓や豊臣家の墓所、そして多くの無縁仏が安置されている。さらに新潟県関係者の墓もある。長岡藩牧野家、村上藩内藤家、新発田藩溝口家、そして民間の鍵冨家、久須美家等々の墓を確認することができた。さらに奧が奥之院・御廟である。この御廟で弘法大師が入定後現在も瞑想されており、毎日2回食事を届けているとのこと。そのセレモニーもみることができた。

 私達は翌年会津の高野山といわれている冬木沢(会津若松市)の八葉寺も訪ねた。空也上人が奥州巡行の折、野ざらしの遺骸を集め埋葬、供養した霊地で、会津の総菩提所と称されている所である。私達が訪ねた時、八葉寺は無住で近くの金剛寺の僧侶から舎利殿、本堂、阿弥陀堂などの説明を受けた。現在14,824点の木製五輪塔が納められ保管されているとのことである。

 以上駆け足で高野山、八葉寺関連の映像を見てきたが、まだ説明しきれていない部分がある。今後の課題としたい。