3月2014

2月の例会=報告

2月例会
平成26年2月15日

「錦絵『新斥税関之図』にみえる新潟の町と湊」
新潟県立文書館文書調査員・本会会員 菅瀬亮司氏

〈講演要旨〉
「新斥税関之図」という錦絵を紹介し、そこに描かれている新潟の町と湊について説明したい。錦絵はある意味でデフォルメ化された絵で、「おかしいな」と思う部分もあるが、作者の価値観が表現されており、当時の歴史を知る上で重要な資料の一つといえる。
この錦絵は、新潟税関が中心であり、税関を際立たせる意図で描かれたものであろう。時代は明治2年12月、画家は勝川九斎、彫刻は平地楼、三国屋金四郎蔵版、画賛(詞書き)と「新潟より諸方江舟路の志ら遍」(西廻り航路)が記されている。
明治2年新潟港に最初の外国貿易船が入港し、同年18隻の入船があった。しかしその後はわずかな船しか入港せず、同15年新潟の外国領事館は引き払われてしまった。錦絵に描かれている税関は運上所ともよばれ、外国貿易による関税徴収業務を行った。脇には石庫(いしぐら)が描かれている。信濃川河口の両岸には燈明台(灯台)が、また周辺には洲崎番所(沖の口番所、船番所)、仲(すあい)番所、そして御役所(旧新潟奉行所)、町会所、さらに日和山、船見櫓も描かれ、当時の新潟の主要な施設を見ることができる。
錦絵の左側には新潟の町並みが描かれている。新潟の鎮守としての白山社、近代公園の先駆けとなった新潟遊園(白山遊園)、そして外国領事館もある。領事館には「新潟商会」と書かれた旗が見える。教師館については不明である。新潟には外国人居留地が設定されず、警備のため新潟町への唯一の陸路となる関屋村に関門が設置された。
税関周辺は明治初年運上所道(湊町通)ができ、上大川前通に繋がり人家が建ち始めた。青柳橋、湊稲荷神社(道楽稲荷社)、願掛け狛犬、毘沙門天王堂などがあり賑わいをみせていた。また日本海を舞台に活動していた廻船は、季節風の影響で毎年秋から春にかけて陸上に引き揚げられた。それは囲い船といわれているが、元文3(1738)年の新潟湊囲い船関係史料を見ると、遠国の大型船の割合が高く越後廻船の囲い船はみられない。一方、安政4(1857)年の関係史料には越後廻船の数が圧倒的に多く登場し、越後廻船の活動期は19世紀の頃と考えることができよう。
以上、錦絵を見ることにより当時の人々の営みの跡がわかり、それを継承していくことは重要なことである。そしてそれは身近な地域を再発見する一つの有効な方法であるように思われる。