4月2017

4月の例会=報告

4月例会
平成29年4月15日(土)

村役人になるまで ―新発田領の村役人の〈勉強〉と往来物―
本会会員 杉山 節子 氏

〈講演要旨〉
私は旧大江山村(現新潟市江南区)出身で、父は田村順三郎である。父は365日調べものをし、常に原典にあたり古文書を読んでいた。私は父といっしょに周辺村々を巡りいろいろなことを教えてもらった。退職した今、父の想い出とともに歴史をやりたく図書館に通い研究しているところである。
新発田領では郡奉行・大庄屋の下、有力農民の村役人が村落行政に大きな力を持っていた。村役人は単なる「読み・書き・算盤」以上に行政文書を処理する能力が必要であった。村役人はどのようにその力を身につけていったのであろうか。田村家に遺された往来物を手掛かりに見ていきたい。
田村家は江戸時代の中期、宝暦11(1761)年より蒲原郡茗荷谷新田と江崎新田の名主を務め、藤山村の名主を兼務し幕末に至った家である。宝暦11年以前から藤山村の名主で大庄屋小林家の手代でもあった。
田村家の文書群は現在新潟市歴史文化課に所蔵されているが、この中に39点の往来物が遺されている。往来物とは往復書簡の形式をとった庶民教育の教科書である。遺されている39点の往来物を見ると、文字や単語、教訓、歴史、地理、農業など内容は多岐にわたるが、横越島周辺の地名が記され編集されたものがあり、これを手本にしながら周辺地域の状況を学んだのであろう。また「田村喜惣次 十壱才」と記されたものもあり、十代前半ですでに往来物を学んでいたことがうかがえる。さらに溝口家の三種類の法令集が記されているものや、地元寺院とのやり取りの手紙が記されたものもあり、往来物は地域の歴史をみていくうえで重要な素材を提供してくれる。
39点の往来物のうち33点が写本、6点が版本である。版本6点の中の一冊は水原で購入したもので、当時の大江山地区は書物に関して水原の商圏であった。また別の一冊には旧蔵者と思われる「水原上町 豆腐屋友七」の署名があり、田村家はこれを古書として水原で購入したものと考えられる。
その他にも、表紙の裏として横越組大庄屋建部・小林両家の連署状が使用されているものや、行間に「天明6(1786)年大水のために米価が高騰した」などの書き入れがなされているものもあり、多くの情報を読み取ることができる。
このように、各地、各家々に遺された往来物を比較研究することにより、地域の歴史を探る貴重な手掛かりが得られるのではなかろうか。