5月2021

5月の例会=報告

5月例会
令和3年5月15日(土)

五泉市新潟大学農学部村松ステーションにおける旧陸軍関連施設跡の発掘調査成果について
新潟大学人文学部助教 清水 香 氏

<講演要旨>
 文化庁の調査では毎年9,000件の発掘がある。発掘することは遺跡を破壊することも意味するため、復元できる記録を残すことが肝要で将来的に分析できる様にしなければならない。今回は2019・2020年に新潟大学考古学研究室で実施した、新潟大学農学部村松ステーションにおける発掘調査で発見された戦争遺跡及び学生の取り組みについて紹介する。
 五泉市の新潟大学農学部村松ステーションは明治30年以降、旧陸軍の村松練兵場及び射撃場として知られている。中村元氏は戦争遺跡としての性格を堀り下げ、旧軍施設と地域社会の関係を考察、地域貢献の上でも歴史的価値を確認することの重要性を指摘された(「新潟大学農学部附属フィールド科学教育研究センター村松ステーションに残る旧陸軍施設関連資料の基礎的研究」『資料学研究』14、2017)。
 これまで、村松ステーションにおいて本格的な踏査および発掘調査は実施されておらず、戦争遺跡としての位置づけを行う目的で発掘調査を行った。調査対象は塹壕跡と伝えられる堀・溝状遺構、同樹林内で確認された近現代遺物の集積、圃場にあったとされる軍用飛行場滑走路及び塹壕跡の確認である。
本遺跡は村松ステーション内に所在し、周辺には縄文時代後期末から晩期の遺跡が点在している。地層の基本層序は耕作土、黒褐色土層(黒ボク)、黄褐色土層(ローム)、黄褐色土と砂礫の混合土層である。樹林内の塹壕跡と伝えられる堀・溝状遺構から人為的な掘削の痕跡を確認、聞き取り内容とも一致することから塹壕跡と推測される。樹林中の遺物の集積は統制陶器(昭和15~21年)、歯磨き粉・化粧品などで昭和10~30年代とほぼ特定される。戦後の廃棄であり、医療廃棄物を含めはどこから運ばれたかという課題が残る。なお戦争に関する遺物は確認されていない。本県の秘匿飛行場(滑走路)には、西区旧山田島飛行場、南魚沼市の八色原飛行場などがあるが、村松飛行場は昭和20年6月にほぼ完成、約30町歩の広さがあり、重機を導入し学徒動員や勤労奉仕で造成された。圃場トレンチに軍用飛行場滑走路と考えられる痕跡を確認した。滑走路は塹壕を掘削して造成されたものと思われ、造成土と推測される黒色土層に挟まれる砂礫は近隣の河川から運ばれ、土を固め、落ち込みやぬかるみを防ぐ目的で利用された可能性がある。圃場には河原から砂利を運びまかれたものと思われる。
 戦争遺跡の発掘は、地域社会に残る記憶を地域の資料と共に記録することで後世に伝えることができ、また戦争の痕跡を後世に遺し地域に還元する活動をとおして文化財への相互理解を深めることができる。今後は探知機による地層の分析、地形図や航空写真による比較検討も行う。本県における本格的な戦争遺跡の発掘調査が周知されることで、近現代遺跡の再評価につながることを期待したい。