12月2016

11月の例会=報告

11月例会
平成28年11月19日(日)

揺藍期の県内ガス事業創設の経緯について
新潟市江南区郷土資料館館長 齋藤 昭 氏

〈講演要旨〉
平成26年7月6日付け「新潟日報」「にいがた老舗物語」には、新潟天然瓦斯株式会社を源流とする越後天然ガス株式会社が「日本で初めて都市ガスとして売り出し」「国産供給の事業化」した会社であると紹介しているが、この記事は誤りである。
新潟県民と天然ガスとのかかわりは非常に古いが、天然ガスに着眼し灯火や家庭用燃料、工業用燃料として利用し販売を目論んだのが高野 毅(たかの き)である。高野は茨城県出身で、明治27年頃から宝田石油株式会社の技師として原油と共に噴出するガスに注目し、ガス実用化の方策を考えていた。35年頃ようやく猛噴するガスの制圧に自信を持つことができ、翌年会社設立を企図し資本の募集を開始した。
しかし、日露戦争の勃発により資本金は集まらない状況であったが、和歌山県の資産家が応ずるところとなり、38年日本天然瓦斯株式会社が創設された。本社は資本の関係から和歌山県新宮町(現新宮市)に置かれたが、この会社が新潟県におけるガス事業の先駆けをなすものであり、日本で最初に天然ガスの利用を試みた会社である。高野は会社を組織した後、38年ガス井を南蒲原郡中之島大口(現長岡市)に選定し試掘に着手した。翌39年正式に開業し本格的な試掘を開始、そして長岡市及びその周辺村々を対象に事業を展開していった。
その後40年本社は長岡市に移転され、会社の名声は上がったが、坑井の掘鑿とその装置にかかる費用が想像以上にかかり、高野は会社の解散に踏み切り、交渉の結果大正7年小林友太郎、長部松三郎等々長岡の同志らによって長岡天然瓦斯株式会社が誕生した。
一方、新潟市のガス会社創設については桜井市作がその中心であった。明治42年ガス事業の許可がおりたが、日露戦争後の不況や二度にわたる市内の大火で資本は集まらなかった。そのような中、日本瓦斯株式会社の福沢桃介系列の資本家が名乗り出て新潟瓦斯株式会社が設立された。
事業を開始してから2年余、福沢系列の重役達により千葉瓦斯株式会社との合併がはかられ合併に至ったが、その後分離。結果的には新潟瓦斯株式会社は小林友太郎らに買収され、地元資本による地元企業としての新潟瓦斯株式会社が構築されることとなった。
以上まとめとして、天然ガスの国産化、初の事業化は日本天然瓦斯株式会社であったこと、それは地元資本ではなく他県の資本で創設されていったことを再度確認しておきたい。