11月2020

11月の例会=報告

11月例会
令和2年11月21日(土)

明治12年西蒲地方のコレラ騒動~伊藤家日記にみる農民生活~
新潟郷土史研究会理事 伊藤雅一 氏

<講演要旨>
 現在、新型コロナ禍にあるが、関連して今から約140年前の西蒲地方のコレラ騒動について、主として伊藤家日記を題材に紹介してみたい。
 前段として、感染症について、世界史的視野からみていくこととする。まず、感染症とは微生物(病原体)が人間や動物(宿主)体内に侵入・繁殖したためにおこる病気である。病原体とは感染症の原因となる微生物であり、ウィルスや細菌がある。
 次に、歴史に名を残す感染症について、触れてみたい。まず、①天然痘について。痘瘡・疱瘡ともいわれ、致死率は高かったが、1796年に英医師ジェンナーが種痘を開発し、1980年にWHOが根絶を宣言した。②ペストについて。黒死病ともいわれ、1347~50年に西ヨーロッパ各地で大流行し、全人口の約三分の一が死亡した。農業人口の減少・賃金上昇により、農民の自立化が進行し、近代社会の移行が促進されたと言われている。③スペイン風邪について。第一次世界大戦中にヨーロッパ全土に感染が拡大し(世界人口の25~30%が感染、米大統領ウィルソンも感染)、終戦を早めることにつながった。
 さて、本題の「伊藤家諸日記帳」にみる西蒲地方(福井村)の明治12年コレラ騒動をみていきたい。コレラは、「虎狼痢」・「虎狼狸」・「虎列拉」などとも表記されるが、汚染された水や魚介類を飲食することで感染し、糞便や吐瀉物の河川への排出で感染が拡大される。明治12年3月ころに西日本で発生したコレラが東日本へ感染拡大し、新潟県の衛生掛発表では10月に患者累計数が5,184人、死者累計数3,110人を数えた。新潟下町と沼垂町で暴動が発生したため、新潟県は8月に軍隊新発田分営に出兵要請をしつつ、魚介類・青果類の販売禁止を全面解禁し、暴動の原因解消に努めた(『新潟県史』通史編6)。
 西蒲地方でも多くの感染者を出している。福井村の「伊藤家諸日記帳」には、7月23日の神明神社祭礼、8月27日の大般若経祈祷と、病魔退散の儀式執行がみえる。8月19日には村中集会が行われ、虎列痢規定が制定された。具体策として、他村者立入拒否のため立番を置き、村民死亡の香典を1銭とする申合せが行われている。まさに、ロックダウン、クラスター対策である。明治15年には、福井村コレラ予防組合が作られ、福井村伝染病予防御約束法が村の全戸の署名捺印で制定された。換気、薬剤散布、衣服、飲食、救済施設、葬送など細々とした内容で、現在の新型コロナ感染対策と似通ったものが多い。
 最後に、我々人類は新型コロナの教訓をどう生かせばいいのか、付言したい。政治家は「公平・公正」に国民の生活を守ること。企業経営者は「利他」の心をもって蓄えた財力を社会の弱者のために提供すること。我々一人ひとりの市民は「隣人愛」の心をもって身近な人のために自分のできることをする、ということに尽きるのではないだろうか。