1月2023

1月の例会=報告

【1月例会】令和5年1月21日(土)

「江戸時代の旅と越後の名所」

講師:新潟県立歴史博物館専門研究員 渡部浩二 氏

<講演要旨>

江戸時代の庶民の旅は18世紀後半から多くなり、19世紀前半に一つのピークをむかえた。享和2(1802)年の十返舎一九『東海道中膝栗毛』や文化7(1810)年の八隅蘆菴『旅行用心集』の出版が影響している。そして街道の整備や庶民の経済力上昇、参詣の遊楽化、講の発達などが旅の盛行の背景と考えられる。

江戸時代初期、佐渡の産金輸送路として「佐渡三道」(北国街道・三国街道・会津街道)が整備されたが、18世紀後半以降、越後を訪れる人が増加していった。それは親鸞の旧跡地巡拝のため、東北地方の人々の伊勢参詣の往路・復路として、そして関東地方の人々の出羽三山参詣の往路としての旅であった。また文人、知識人の往来も頻繁であった。

旅の盛行にともない街道や宿場・名所などが記された携帯に便利な小型の「道中記」が盛んに刊行された。そこには親鸞の「二十四輩巡拝」や「親鸞の七不思議」関係の記事など記されている。新潟市鳥屋野の逆竹、同市山田の焼鮒、阿賀野市の八房梅、数珠掛桜、三度栗、田上町の繋榧などである。

同時に「越後七不思議」関連の記事も多く記されている。日本最古の即身仏・弘智法印(西生寺・長岡市野積)、自噴する火井(天然ガス、三条市如法寺)や燃水(石油、新潟市秋葉区)等々、いずれも越後独特の名所・奇観であり、訪れた旅人は大きな驚きとともに知的関心をより一層深めていった。そしてそれらは下越一帯に集中しており、一つの巡回ルートとして成立していたと思われる。

旅の盛行にともない旅宿も整備されていった。当時は旅籠、木賃宿、善根宿、合力宿などさまざまな旅宿があったが、1800年代に入ると木賃宿が少なくなり旅籠に泊まる旅人が多くなったように思われる。そして旅籠の組合として講が結成された。関東地域における講は「東講」で、越後の旅籠もそれに加盟するようになった。「東講」の看板が掲げられていれば「安心して泊れる」と旅人から受けとめられていたようである。また各旅籠は「引札」を作って宣伝も行っていた。

以上のように江戸中後期、越後へ多くの人々が訪れた。そして越後への旅人の増加とともに多くの記録が残された。『東奥紀行』(長久保赤水)、『東遊記』(橘南渓)、『金草鞋』(十返舎一九)、『虎勢道中記』(江戸の商人与八)など、いずれも当時の越後の状景が記録され非常に貴重な出版物となっている。

今後は、旅の流行が越後社会に与えた影響について、そして地域側の対応について解明していきたいと考えている。