4月2016

3月の例会=報告

3月例会
平成28年3月19日(土)

新潟古町「定宿のとや傳右衛門」の引き札を読み解く
本会会員 齋藤倫示 氏

〈講演要旨〉
「引き札」とは、商品の広告、開店・売出しの披露などを書いて配った札である。関西では昔から「ちらし」であった。本日は新潟古町で宿屋をやっていた「のとや傳右衛門」の引き札二枚を紹介したい。
まず「ヲロシア船来航引き札」である。この引き札は中央にロシア船が大きく描かれ、その左右に「定宿のとや傳右衛門」「頃ハ安政六年未四月…ヲロシア舟渡来ス」「シバタ溝口主膳正様、ムラマツ堀丹波守様、ナガサキツウジ猪俣宗七郎」「新潟湊 雲林堂 池仁」と記されたものである。川村修就の『日新録』弘化2年10月18日の条には「新潟表非常之節援兵之義…差出候様、内藤紀伊守、堀丹波守江相違候」とあり、各藩から海岸防備の援兵が出された状況がうかがえる。長崎通詞は情報の窓口として重要な役割を担ったが、猪俣宗七郎については今後の精査が必要である。「雲林堂 池仁」については現在判明していない。
もう一枚の「新潟与里諸方道程引き札」は「信州善光寺より京迄」「三国通江戸マデ」」などと、新潟から京都、江戸、会津、米沢、仙台、庄内、秋田などへ至るまでの宿場が約290か所記載され、左下に「商人定宿のとや傳右衛門」と記されたものである。当時の旅は川運の利用が多かったと思われるが、越後における川舟利用を示す資料は、「徳川幕府巡検使」史料、十返舎一九『滑稽旅烏』、長谷川雪旦『北国一覧寫』など多くある。また新潟県立図書館所蔵になる川舟利用の諸著作物も有益である。
この二枚の引き札には刊記がなく年月日を確認することはできないが、「のとや傳右衛門」の住所は「古町三ノ町」になっている。新潟町の古絵図など、たとえば、①享保十六年街中家並図、②天保期「古絵図」、③宝暦年代新潟町家並図、④天保十四年新潟町中地子石高間数家並人別帳、⑤安政二年東講商人鑑などが参考になろう。その中で④に記載されている「古町三之町東方 間口三間 此高弐斗弐升弐合 能登屋松太郎」が今回の引き札の「のとや」と考えられるのではなかろうか。
「のとや」に関連し、当時の新潟町の様子や各寺院に残る新潟町で活躍した人物の墳墓、そして新潟町の水事情など、興味深い点が多くあるが、今後も検討していきたいと考えている。