4月2022

4月の例会=報告

4月例会

令和4年4月16日(土)

1923年関東大震災の非罹災地における地震観測と地震研究 ― 新潟県新潟測候所の動向を中心に ―

新潟大学人文学部准教授  中村 元 氏

<講演要旨>

 1923(大正12)年9月1日11時58分に発生した関東大震災に関して、翌2日の『新潟新聞』朝刊に報道された、新潟測候所の佐々木靏蔵所長の談話を紹介。地震直後の通信が寸断される中で、震源地を「信濃川の沖合三十里」と推定し、「地震の危険地域」としての「信濃川沿岸一帯」に位置する新潟、という評価が掲載された。情報流通再開後すぐに訂正されたが、災害に際して、地域社会がその地域に在勤する専門家に知見を求め、これに対し専門家がその地域での日頃の観測に即して知見を提供するという、ローカルレベルでの社会と専門家の関係は注目すべきことである。新たな角度からの新潟と関東大震災の関係を検討することは、新たな災害と社会の歴史研究につながる。

 近代日本の地域における地震の近代的観測は、地方測候所が担当しており、新潟測候所は1881(明治14)年、内務省地理局所属の直轄測候所として全国11番目に設置された。その後1914(大正3)年4月に、一等観測所に昇格して一日六回観測から毎時観測へと移行することとなり、同年11月に着任した佐々木所長の時代から刊行された『新潟県気象報告』によって、通時的検討が可能となっていた。

 この『新潟県気象報告』の1917年の記載の中に、「信濃川河口ノ地震帯」が「大震へノ過渡期」に入り警戒すべきとの所見が見られ、それ以降「新潟県下局発地震」と「信濃川地震帯」の活動への注目度が高まり、1923年には「二、三十年後」「三、四十年後」の地震帯下流での突発の可能性が指摘されている。こうした所見は佐々木所長の地震研究の反映と考えられ、著書『大地震予知の研究』(北光社)の中でも、「新潟付近は将来大地震発生の可能性あり」だが、「凡そ今より二、三十年後、或いは其後(四、五十年)に延びるや計り難きも、之れ凡その年数なるべし」と自説を再紹介している。

 関東大震災発生直後の「新潟沖震源説」は訂正されたが、この誤報はさほど問題化されず、逆に『新潟毎日新聞』で特集として取り上げられ、「明治図書館週間デー」でも佐々木が講演し、別企画として「県内歴史地震史料展覧会」が開かれるなど、大震災後の地域社会における地震への関心の高まりが見て取れる。

 佐々木の説は、物理学的因果関係を想定する観点から新潟での大地震を予想したもので、これは地震伝播速度から地盤に働く「ストレーン」(ストレイン=ひずみ)を検出して地震発生を想定する、東北帝国大学理科大学教授日下部四郎太の最新の地震学説に依拠し、新潟での観測によって形成されたものであった。大震災を契機として、地域社会と専門家の新たな関係性を生み出した、非罹災地の好事例として歴史的に評価することができる。