9月2017

8月の例会=報告

8月例会
平成29年8月20日(日)

新潟県内の道路元標―保存にむけて―
本会会員 渡辺 等 氏

チベット・カイラス巡礼の旅
本会会員 小熊 英雄 氏

〈渡辺等氏の講演要旨〉
道路元標は大正年間、全国の市町村に置かれた道路の起点終点を示す石柱である。大正9(1920)年の第1回国勢調査報告によれば、新潟県の自治体は3市43町369村、合計415の市町村があった。そのうち私が現地を探訪して確認することができた道路元標は、平成29年6月30日現在総計207基で、内訳は残存しているもの179基、土中に埋まっているもの2基、以前あったというもの26基で、確認率は49.9%である。
私が道路元標に興味を持ち始めたのは、旧松ヶ崎浜村で「気になるもの」に出くわして写真におさめ、それが「道路元標」というものであると知った時からである。さらに新潟県庁に問い合わせたところ、担当の方から熱心に対応してもらったことも大きい。過去の何回かの市町村合併により失われた道路元標も多いが、市町村の移り変わりを後世に伝える重要な資料の一つであり、調査し保存しなければならないと考えるようになった。
慶長9(1604)年日本橋脇に里程標を立てたのが道路元標の始まりと伝えられている。その後各地に里程標が立てられるようになったが、旧会津街道をはじめ一里塚が残されており、歴史保存の方策が考えられている。大正から昭和十年代くらいまでに生まれた人で道路元標を記憶している人がいるが、ほとんど忘れ去られた存在になっている。
私は県内の旧415市町村を訪ね歩き、半分ほどを確認できたが、今後も道路元標の調査、探訪を続けていきたい。

〈小熊英雄氏の講演要旨〉
私は平成6(1944)年、62歳の時にチベット・カイラス巡礼の旅をした。それは定年退職後の一つの願いでもあった。4,000~5,000メートルの高原の旅ということで医師の診察を受け合格し、全国から5名の仲間(うち女性1名)の一人として参加することができた。旅のきっかけは河口慧海師のチベット旅行記に出会ったことである。
日程は7月31日から8月24日までの25日間、行程は成田―香港―成都―ラサ―カイラス―カトマンズ―香港―成田の合計3,000キロ、徒歩52キロの旅であった。
チベット・カイラス山は信仰の山、巡礼地であり5色の祈祷旗が峠にたてられている。マナサロワール胡を見てインダス川の源流に行き、抜けるような青い空、そして虹の奥に聳えるカイラス山を見ることができた。ヤルツアンポ渡河に際しては水嵩が増え渡れないトラブルがあったが、地元の人びとから回り道を紹介してもらい無事通行できた。
私がカイラス山巡礼最高地点のドルラ(峠)を目指し、砂礫の坂道を歩き続け道端に腰を下ろしていた時、チベット族の親子が「元気を出して」と目で合図をし一かけらの氷砂糖を差し出してくれた。私は思わず「ありがとう」と両手でいただいたが、親子は何事もなかったかのように去っていった。貴重な氷砂糖を私に与えてくれた行為は「自利・利他」の行為であり、まさにお釈迦様の教えそのものではなかろうかと感じた。
私にとって冒険的要素の濃い旅ではあったが、貧しいけれど豊かな世界に生きる人びと、そしてそこであたりまえに生活している人びとに接し、忘れることのできない旅であった。