8月2017

7月の例会=報告

7月例会
平成29年7月15日(土)

「乙女たちの歩み~新潟の女学校と女学生」展を観る
新潟市歴史博物館学芸員 藍野 かおり 氏

〈講演要旨〉
新潟市政令指定都市・区制施行十周年記念の企画展「乙女たちの歩み」展が今日オープンした。この企画展は、女学校や女学生を通して女性がどのように社会とかかわったのか、どのような役割を担わされたのかを考えてみようと、企画したものである。
展示内容を六つの章に分けてみた。「新潟における初期の女子中等教育」「開校した女学校での学びと暮らし」「設立が相次いだ高等女学校と新しい教育」「女学生の卒業後の経路」「戦争に向かっていく中での女学生の対応」「戦後の教育改革と女学校」―この六つを各章のテーマとした。
今日は高等女学校の制度とそれがどのように広がっていったのかについて触れてみたい。
明治32(1899)年高等女学校令が発布された。明治政府は「女子に須要なる教育を授く」場として、各道府県に道府県立の高等女学校を少なくとも一校開校させることを義務づけた。新潟県は同33年新潟市に新潟県高等女学校を開校させた。
同40年の「新潟県立新潟高等女学校規則」によると、修業年限は4年、尋常小学校卒業以上を入学資格とし、授業は週30時間、学科目は裁縫、家事科、教育、手芸などであった。男子の中学校で行われていた博物、法制、経済、実業の授業はなく、また英語、数学の授業時数は中学校の半分であった。
同43年高等女学校令の改正で、実学を重視する「実科高等女学校」の設置が認められた。その設置は地域の事情により高等小学校との併置が可能であった。
大正2(1913)年巻町に、同9年新津町に実科高等女学校が開校した。この2校は同年高等女学校に組織変更され、後に県立に移管した。同11年には亀田町、同12年には白根町に高等小学校併設の実科高等女学校が開校、新潟市でも同10年市立実科高等女学校が沼垂尋常高等小学校卒業に併設され、同14年高等女学校に組織変更、校舎が新設された。
このように明治・大正期、教育機会の拡大を望む地域の声に応じて「実科高等女学校」が設置され、それが組織変更されることによって「高等女学校」が広がっていった。同時にそのことが学校設備とともに女子教育の内容充実にもなっていったと考えられる。
今回の企画展で、女子教育や女学生の変わった部分と変わらない部分、この両方を見ていただけたらありがたい。
(講演会終了後、藍野かおり氏の案内のもと企画展を観覧した。)