6月2014

4月の例会=報告

4月例会
平成26年4月19日

「碑(いしぶみ、モニュメント)に見る人間模様」
元新潟県立文書館副館長 本井晴信氏

〈講演要旨〉
外を歩くと見慣れた建物や風景にも新しい発見があり、一つ一つの石碑にもそれぞれのドラマがある。私が目にした石碑のいくつかを紹介したい。そして外歩きの楽しみの手助けにしていただければありがたい。
「色部長門君追念碑」は昭和7年新潟市中央区関屋下川原町に建てられた石碑である。篆額・上杉憲関屋の地で死亡した米沢藩家老色部長門を追念して建てられた石碑である。碑文の多くは原則として漢文であるが、この碑文は当時の現代文で記されており画期的な意味を持った石碑と考えられる。また徳富・落合の二人による撰文・書の石碑を建てるということは大変なことで、おそらく斎藤巳三郎の力、人脈によるところが大きかったと思われる。同時に関係した多くの人々の努力もあったであろう。
現在の新潟県立図書館脇にある「良寛書一二三、いろは碑」と「会津八一古希記念歌碑」も貴重である。とくに良寛書の碑は単純明快でわかりやすく親しまれている。原本の文字が拡大され彫られているが、また文字にはかすれた部分があるが、そのかすれた部分も含め良寛の書としてよく再現された碑になっている。会津八一の碑は昭和25年、新潟県立図書館が現在の日本銀行新潟支店のところにあった時の前庭に建てられた碑で、八一は図書館の庭に建てること、相馬御風の碑と向かい合うように建てること、この二つを注文したようで、それは今も守られている。八一と御風は早稲田大学に同時に入学し同時に卒業している。ともに英文学を学び古代ギリシア思想に触れたことが、その後の活動に影響を与えたのではなかろうか。
十日町市内の小学校にある「二宮金次郎像」は石像でふくよか、丸顔である。にこやかで笑顔の二宮像は珍しい。この小学校の佐山武雄校長時代の昭和18年に建てられたもので、その小学校の卒業生であろう田村米作が寄贈したものである。まるで仏様のような顔立ちの味わい深い二宮像である。
「壇一雄句碑」は平成8年新潟市秋葉区大安寺に建てられた碑で、碑の注釈には「亡友の泳ぎし跡か川広し 大安寺にて壇一雄」「ここには安吾が泳いだかもしれない阿賀野川の雄大な情景がうたわれています」と記されている。しかしこれは壇一雄の思い違いであって安吾がここで生まれ育ったわけではない。真実でないことがどんどん広がっていくことは大きな問題である。石に刻まれたものは紙に書かれたものよりも残る可能性は大きい。それ故正しい内容が次世代の人たちに伝わるよう十分注意していかなければならないであろう。