3月2019

2月の例会=報告

2月例会
平成31年2月16日(土)

国史跡「新津油田金津鉱場跡」の価値と特色について
新潟市文化スポーツ部歴史文化課副参事 入江 清次 氏

〈講演要旨〉
 今日は「新津油田金津鉱場跡」とはどういうところか、今まで私が見てきたことや聞いてきたことを中心に報告したい。
 嘉永6(1853)年ペリーが来航したが、その黒船の黒は蒸気船の石炭タールの黒であろう。石油ランプは開国と同時に西洋から輸入された。最初は街灯などに、その後家庭や工場に普及していった。石油は米国からの輸入が大きかった。
 ここに女性が樽を担いで歩いている写真がある。明治期、金津鉱場からの原油を樽に入れ精油工場まで運んでいる写真である。金津から約7キロの道を毎日二往復、2斗2升入りの樽を担いで通っていた人力輸送時代の写真である。
 石油の掘り方は手掘りが最初であった。命綱で下に降りていくが、深く掘り進むにしたがって水に苦労した。今も一部分手掘り跡が残っている。明治二十年代に上総(かずさ)掘りが、その後綱式機械掘りが導入され採油量を増やしていった。
 現在、金津鉱場跡には上総掘り井戸11、機械掘り井戸13の合計24の油井遺構が残されている。この他、採油の動力源であるポンピングパワーや上屋、継転機、集油所、送油所、各種タンク、加熱炉、濾過池、旧木工所、旧社宅等の石油関連遺構が残存している。このような「新津油田金津鉱場跡」の文化的価値を明らかにするべきとの意見が多く出された。行政として将来の史跡指定を念頭に置き、平成26年度より3か年をかけて文化財としての視点から総合的な調査を実施した。
 まず関連する遺構群を悉皆調査し台帳化した。さらに遺構群全体の関係性やシステムも明らかにし、地域に関連する風習や行事、環境などを関連文化財群として把握し、施設配置復元図を作成した。そして同29年度に文化庁へ意見具申し、同30年10月15日国の史跡に指定された。指定担当者から「史跡指定への最短ですよ」といわれたことが印象深く記憶に残っている。
 「新津油田金津鉱場跡」は日本の近代化の一端を担った数少ない油田遺跡であり、採油、精製、送油にかかわるシステムが最もよく残る史跡である。しかも地域に密着し、地域と一体となって発展した油田である。国の史跡となったこれからが重要であり、多くの方々から興味、関心をもってもらうことが大切であると考えている。今後も「新津油田金津鉱場跡」をよろしくお願いしたい。