7月2015

7月の月例会=報告

7月例会
平成27年7月19日

「新潟花火の歴史とこれから-花火マニアの視点から」
横木 剛 氏(新潟市旧齋藤家別邸副館長・本会会員)

【講演要旨】
新潟市の花火の歴史、花火の鑑賞、花火のもつ価値、これからの新潟花火のあり方について、マニアの視点からみた提言を含めた講演であった。
まず花火の起源は、わが国では徳川家康が慶長18(1613)年に鑑賞した張り子の玉を打ち上げる手筒花火、新潟では江戸期に寄居村諏訪神社祭礼の仕掛け花火、古道の地蔵様縁日での打上げ花火といわれている。
かつて新潟花火は「川開き」(8月22・23日)と一体のものであった。その初見は従来の明治21年(旧版新潟市史)ではなく、明治16年に信濃川中洲で打ち上げられたもの(新潟新聞記事)との説明があった。途絶後、明治42年に川開きが復活、翌年に住吉祭も復活して川開き協議会が結成されたこともあって、昭和12年まで続いた。背景には、財界・新聞社・花柳界・商店・花火師らの協賛、打上げを支える土台が確立したことがあった。
一方で花火師も研鑽を積み、各地の研修会・花火大会への参加や色の多彩化や大玉化への挑戦の努力が継続された。
戦前新潟花火が日本一といわれた理由に、信濃川の川幅、財界・花柳界の支援、先進地からの技術導入や競技会による技術向上などがあったという。
新潟花火の地位が揺らいでいる現在、「花火は新たな価値を生む文化資本」の視点が必要であると提言する。市民の誇り、街の花火としての伝統の創造、総合的なプロデューサーの起用、密度の濃い構成、協賛金確保の経済的支援などが必要であると結んだ。新潟花火への熱い思い入れと辛口の時評も溢れた講演であった。

また講演終了後、新潟町の古い絵葉書の映像で街並みを語る時間がもたれた。フリートーキングのため会場が一体となり、郷愁にふけると共に歴史資料としての絵葉書を再認識した時間であった。