11月2017

9月の例会=報告

9月例会
平成29年9月17日(日)

都からみた越国
本会会長 伊藤 善允 氏

〈講演要旨〉
天地開闢からときおこす「古事記」「日本書紀」は、8世紀に編纂された歴史書である。編纂された歴史ということから、編纂当時の貴族の意識が反映されており、そのまま史実とみることはできない。今日は「古事記」「日本書紀」の記述を追いながら、そこに描かれている古代の世界、そして編纂者たちの意識をさぐっていきたい。
国生み神話について、日本書紀は「一書に曰く」として異なる伝承を多く載せており、「島生み神話」がもとになっているといわれている。佐渡は必ず出てくるが越国が出てこない伝承もある。越も島として認識されており、未知の、未開の世界として意識され、山々をこえたかなたにある「大倭豊秋津島(大日本豊秋津洲)」とは別の概念の地ととらえられていた。
大彦命が高志道(北陸)に派遣されたとする四道将軍の話は、大和王権の勢力拡大の過程で生まれたとされており、出雲国風土記には大穴持神が「越の八口」を平らげたとする伝承がある。越後国風土記逸文にみえる「八掬脛」は「土蜘蛛」と同類で大和王権に服属しない存在であった。ヤマトタケルの東征阿倍比羅夫の北征にみられるように、貴族の認識としては、日本列島は弧状ではなく東に蝦夷がおり、越は北の地ととらえられていた。
八千矛神の沼河比売求婚の話は、越後国風土記逸文にみえる「八坂丹」は青八坂丹の玉すなわちヒスイを求めての話ともいわれており、また、出雲国風土記に越国に関する伝承がみられ交流があったことが知られ、日本海沿岸に気多神社あることなどから「気多政治圏」があったとする説もある。
「古事記」「日本書紀」について、歴史学・神話学・国文学・民族学・民俗学など様々な立場からいろいろな解釈がなされており、どれが正しいのかよくわからない。研究という立場を離れて神話・伝承を「物語」として読んでいくと、また違った楽しさ、おもしろさをみつけることができる。