12月の例会=報告

12月例会
平成27年12月19日(土)

「横越の焼山へ墜落したB29―少年Kが見た70年前の大事件―」
講師 本会会員・(財)北方文化博物館理事 神田勝郎氏

〈講演要旨〉
昭和20年7月、米軍のB29が焼山に墜落した事件があった。墜落したB29の搭乗員は捕らえられ護送されたが、その墜落と護送の二つの場面を私は目撃している。今日は私(少年K)が目撃した情報を皆さんに紹介したい。
7月20日の深夜、米軍機5機による新潟港沖への機雷投下が行われた。投下後5機が阿賀野川沿いに会津方面へ飛行中、万代島から撃った高射砲弾がその一機に命中した。私は当夜家の庭に出て、炎上した飛行機の火の光が少し分かれ気味に焼山方面に落ちていったのをはっきりと目撃している。
撃墜されたB29の搭乗員は11人。4人は死亡し7人はパラシュートで脱出したが捕らえられ、日本軍の憲兵隊に引き渡された。その米兵を乗せたトラックが横越村役場前で一時停止した時、地元の一女性がノコギリで米兵に襲いかかろうとした事件があった。この事件は様々な形で紹介されているが、私は一女性がノコギリを持って家から出てきたのは目撃しているが、「荷台に乗り込んだ」「トラックに乗って切りかかった」という表現はあたっていないと考えている。
B29の墜落事件、米兵護送に関する報道や報告について、中には誤解され、事実とは異なる内容で伝えられている部分が見受けられる。「ほんとうの真実」を私なりに後世の人々に伝えていく責務があると感じている。
墜落したB29を見たいということで、臨時の渡し舟まで出されたが、その一艘が転覆し、9人の死亡者が出た。9人の中には小学校の幼い児童も含まれていた。
またB29の搭乗員で死亡した4人の遺体について、当時の横越村長伊藤威夫氏が横越村在郷軍人会長佐藤基一氏に相談、焼山区長目黒啓一氏に依頼し焼山の墓地の一角に埋葬することにした。この丁重な埋葬の経緯については昭和56年8月、横越村農協有線放送で報道されたことがあったが、その記録が幸いにも残されており、当時の状況を知るうえで貴重な資料となっている。
終戦から4か月後の12月11日付け「新潟日報」記事を見つけることができた。その記事は高田進駐のカナデイ中尉を長とする調査隊が焼山を訪れ、地元民の国境を越えた人類愛によって埋葬された墓に詣で冥福を祈ったという記事である。敵国の兵士ではあっても丁重に埋葬したことは人間として当然の行為であるといえるが、現代に生きる地元民にとって大変ありがたいことであったと今実感している。