3月の例会=報告

3月例会
令和3年3月21日(日)

江戸時代の住民登録 ― 五十嵐浜村を例に ―
新潟郷土史研究会会員  本田 雄二 氏

<講演要旨>
 新型コロナウィルス感染下の現在において、住民基本台帳に基づいて各自治体が様々な施策を行っているが、江戸時代においては、どのような形で住民登録がなされ、どのような役割を担っていたのか。五十嵐浜村に残る古文書を中心に、現在と比較しつつその実態を探る。
 現在の住民登録は、出生、死亡、結婚、離婚、転居等に際し、その都度当該市町村の役所に届け出をして行われているが、江戸時代では、宗門人別改帳(戸籍・住民票を一冊にまとめたもの)に2~3月にまとめて記載・登録される形であった。キリスト教禁令下にあって、日蓮宗不受布施派を除く仏教徒が登録され、村に不利益を及ぼさない者としての身分証明的な役割を果たしていた。
江戸時代における正式な住民登録は、手続き上変更時点よりもやや遅れて実施され、結婚・離婚・移住等に伴う証文の発行も、宗門人別改帳面の書き換え時期に間に合うように、12月~正月にまとめて行われることが一般的であった。
 全国一律の形式があったわけではないが、長岡藩領であった五十嵐浜村においても、移動に際しては、村で行う所請証文と寺毎で行う宗旨請(切)証文が、慣例に則ってやりとりされていたことが確認されている。また必要に応じて、村による身元保証や寺からの宗門保証の書状も作成されていた。そして最終的には、村役人から大庄屋を通じて領主へとまとめて提出される手筈となっていた。
 こうした日常生活の中での変更とは別に、「不行跡者」や「欠落(出奔)者」が出た場合には「帳外」として、危難防止のために村から領主に願い出て、宗門人別改帳の登録から抹消された。長岡藩においては、幕府預り所を含めて「根限」として、他所へ欠落した場合には「根限証文」を、他所へ奉公に出る場合には5年間という期限をつけた「五ヶ年根限証文」の提出を義務づけていた。「根限者」はどこの宗門帳にも記載されず、村内居住は認められず、勝手にかくまうと有罪とされた。領主側としても、期限内に申し出がなかった場合には受け付けず、村役人の不注意として処罰する旨を規定しており、領内の治安維持に心がけていたことが窺われる。
 なお、「根限」は「ねかぎり」と読むよりも、「「根元」「今現」と記される場合もあるところから、「こんげん」と読む方が自然ではないかと思っている。
 このように、江戸時代における住民登録要件は、村による「慥成者」認定権である身元保証と、寺による「御法度宗門でない」認定権である宗旨保証であり、その有無が現在とは決定的に違っていたと言える。