4月の例会=報告

4月例会
平成27年4月18日

「碑(いしぶみ、モニュメント)に見る時代の形」
元新潟県立文書館副館長 本井晴信氏

〈講演要旨〉
 標記の演題で、ひとりで自由に楽しめる後押しの一つとなるように、目に入った形や読めた文字と共にその背景に興味がわいたら調べてみよう、ということを趣旨としての講演であった。
まず「本井家」の墓を対象に話が展開された。本井家の代々墓は商売繁盛もあって天保10年に高さ約6尺弱の大きなものに改装された。遡る天保2年に幕府は、近年百姓・町人が身分不相応な墓を建てているから、髙さは4尺以下とすべしと触を出した。明らかに法令違反である。しかし伝承によると基壇の部分を土で埋め、高さを4尺以下に確保し、昭和初期に土をどけ全体を表出させたという。何とも庶民の知恵である。また、この墓のとなりに本井家4代目の背の低い墓1基がある。4代目は明治8年4月に亡くなったという。明治政府は明治6年7月に火葬禁止の布告を出し、同8年5月にこの布告を廃止した。つまり4代目は火葬にできなく、土葬で埋葬されたため、別の墓を造り、墓が二つならぶという状況となった。身近なところに歴史を見る所産が存在している興味深い話である。
 それ以外に碑の事例として、個人の戦死者を悼み集落で合同葬儀をして位牌の形の19基の墓碑が並ぶ海老ヶ瀬諏訪神社境内、退役したり郷土が生んだ陸軍大将や乃木希典の揮毫による大型の「忠魂碑」が各地に見られ、越後では三条出身の鈴木壮六の揮毫したものが多いとの紹介があった。
 モニュメントとしてかつて新潟駅前にあった二人の等身大の金子直裕作の裸婦像は、昭和34年の新潟駅の開業と合わせ東大通りの都市計画の完成記念として建てられたが、現在は近くの公園に移動して設置されている。県民会館前には新潟地震からの復興記念として昭和42年に現代工芸新潟会の複数の金工担当者が製作したフェニックスの鋳金があり、ほかにも高橋清作の親鸞の旅姿などの具体的な事例が背景とともに紹介された。
碑やモニュメントは、時代の様相を反映しているものの表れのひとつであることを再認識させられる講演であった。